わくわく自家発電研究所

真理と心理を融合し、弾むようなわくわくのココロを研究・実践・発信します

今夜、一日を終える時、今まで以上に自分を認めることが出来るとしたら、それはどんなことだろう?

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

 

今日も一日を始める時に効く、

潜在意識に働きかけるような、

問いかけを発信します。

 

本日の朝の問いかけはこれです。

『今夜、一日を終える時、今まで以上に

自分を認めることが出来るとしたら、

それはどんなことだろう?』

 

今、世界は著しい情報化社会となり、

その膨大な情報をもとにした、

正しい・間違っているという判断が、

世の中に溢れているように思います。

 

ビジネスのスピードが上がってきたり、

SNSの普及で、個人同士・組織同士の

監視や批判が強くなっているのではないでしょうか。

 

そんな中で生活することは、知らず知らずのうちに、

相手を批判し、自分を批判する、

そんなことが当たり前になっているような気がしてなりません。

 

人や社会を批評するのと同じように、

自分をいつも厳しい目で批判していては、

せっかく伸びようとしている能力も

その芽をつぶされてしまいます。

 

そんな時は、世の中の常識や社会通念、

道徳観や倫理観、絶対正しい正義や、

数々の判断基準・価値観を一旦脇に置いて、

今日、自分がどれだけ頑張ったか、

何かに必死で取り組めたか、

それを何の基準も判定もない、

温かい目で見ることができる、

そんなことが大切ではないかと思います。

 

ここで敢えて

「頑張ったか」「必死で取り組めたか」

と書きましたが、こう書くと

「いやいや自分は全然頑張れてない」

と思う方もいるのではないでしょうか。

 

人や社会や未来への批判の目が厳しくなれば、

それらを評価できるための基準もまた、

どんどんと勝手に引き上げられてしまいます。

 

これくらいではまだまだだ、

これくらいではまだ頑張っているとは言えない、

これくらいではまだ褒められたものではない、

これくらいではまだ自分も過去も認められない、

これくらいではまだ必死に生きているとは言えない、

そうやって自分を認める基準を

高く高く釣り上げていっているのかもしれません。

 

ですが私ははっきり断言します。

 

そうやって苦しんでいる人は、

間違いなく頑張っている人です。

間違いなく戦っている人です。

間違いなく一生懸命に生きている人です。

そして間違いなくその時は輝いている瞬間だと

私は言ってあげたいと考えています。

 

学校の中で、会社の中で、家庭の中で、

人はこれでもかと期待やプレッシャーを感じ、

ココロをすり減らしながら、

頑張っているのではないでしょうか。

 

そんな時に苦しい一番の理由は、

すぐに、誰にでもわかるような輝かしい結果が

出せないからだと一般には考えがちです。

 

ですが、他者への分りやすい結果が大切になるのは、

人同士・会社内外での成績、評価、キャリアや、

あるルールの元に物事を進める時であって、

実は自分自身が自分自身を大切だと思うことと、

自分が結果を出すということとは

関係が無いと、私は感じています。

 

現に生まれたばかりの赤ちゃんは、

まだ何も達成していませんし、

まだ何も結果を出していません。

お金も稼いでいませんし、

家も建てていませんし、

車も購入していません。

 

ですが幼児は全くの自己否定感なしに、

笑い、泣き、遊び、眠り、そして生きています。

大人が子供を見て笑い、癒され、希望を感じるのは

こういうことが理由ではないでしょうか。

 

自分はいつでも自分を認めることができるし

人も認めることができると。

認めて良いのだ、と、そう感じていますし、

それが人間が人間たる由縁ではないかと思うのです。

 

例えとして、ここにある二人が居るとします、

その二人は同じ学歴、同じ職歴、同じ年収、

同じ過去があったとします。

 

会社での成績や、自分の人生について、

ある人は自分を認めることができて、

ある人は自分を認めることができないとしたら

その二人の差は一体どこにあるのでしょうか。

 

これは「人によって育った環境が違うから

感じ方が違うのは当然だ」という意見で、

片付けられる話ではありません。

 

育った環境が苦しかったとか、恵まれていたとかで、

自分を認めることに差があるのが当然ですが、

それを超えることが出来るというお話しです。

 

育った環境の如何に関わらず、

自分を認める能力やスキルは、

後天的に育てることが出来ると、

私は考えています。

 

この世の中に自分として生を受けて、

それを誰かは自己否定をしながら生き、

誰かは自己承認を満たしながら生きている。

 

その判定をその判断を、

一体他の誰が下せるでしょうか?

 

自分の人生に、そして自分の存在価値に、

まずOKサインを出すのは、

どんな時でも他ならぬ自分自身であると、

私はそう考えています。

 

人はもっと自分を今まで以上に認めて良いはずです。

人はもっと自分を今まで以上に愛して良いはずです。

人はもっと自分を今まで以上に許して良いはずです。

 

それが少しずつ少しずつ、

親に、家族に、周りに、広がっていく、

そんなことが人生ではないかと、

思えてなりません。

 

あなたは今日何をしますか?

何をしませんか?

一生懸命しますか?しませんか?

一生懸命できないのでしょうか?

それは素晴らしいとは言えないのでしょうか?

何かをしたら素晴らしいのでしょうか?

何かをしなかったら素晴らしくないのでしょうか?

それはあなたのことですか?

誰かの決めた評価基準の中のあなたですか?

 

全部を解き放って、是非「あなただけの眼」

あなたを認めてあげて欲しいと、

私は願ってやみません。 

 

今夜、一日を終える時、

あなたの周りに、あなたの今日一日に、

素晴らしい沢山の自己承認が、

誇らしい沢山のあなたが溢れますように。

 

そして、

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

~零一~