わくわく自家発電研究所

真理と心理を融合し、弾むようなわくわくのココロを研究・実践・発信します

今日、自分の中に素敵な一面を見出せるとしたらそれは何だろう?

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

2017年最初の記事として、

朝の問いかけを発信します。

 

本日の問いかけはこれです。

『今日、自分の中に素敵な一面を

見出せるとしたらそれは何だろう?』

 

 

私たちの一日はどういう時間配分になっているか、

じっくり考えたことがあるでしょうか?

 

私たちは1日24時間というサイクルで

生活をしていますが、

8時間は会社のためで、

8時間は自分のためで、

8時間は睡眠で、などなど、

時間配分は人それぞれかと思います。

 

「時間に追われている・・・」

 

そう無意識で感じている人ほど、

「他人の要求を満たすために」

24時間のうちのほとんどを

過ごしているのではないでしょうか。

 

もちろん会社勤めをしていたり、

その他仕事をしている場合は、

相手や顧客の満足を満たすために、

時間を使うのでしょうし、

それが悪いと言っている訳ではありません。

 

ここで考えたいのは、

 

「時間に付加されている意味」

 

です。時間に含まれている意味、

と言ってもいいかもしれません。

 

一瞬一瞬流れていく時間には、

実に沢山の豊かな意味が含まれていると、

私は考えています。

そしてその意味にどれだけ気付けていけるか、

どれだけの意味を見出していけるか、

それが人生の幸福度を決定するとも

言えるかもしれません。

 

いくら会社のために時間を使っていても、

その時間に含まれている意味というのは、

相手のためとか顧客のためとか、

それだけではないでしょう。

 

お客様のために日々忙しく、

時間に余裕がなく働いていても、

その時間を振り返れば、

相手の良さとか自分の良さ、

この世の何気ない美しさ、

生きている充実感、そんな様々な意味が、

きっと含まれていることでしょう。 

 

慌ただしく時間に追われ、

やるべきことやタスクをこなし、

それなりに結果は出している。

 

でもその時間を振り返ってみた時に、

自分の良さや、自分の素敵な一面が

沢山ちりばめられていない、

もしそう感じたのなら、その過去は

自分にとってとても複雑で、

意味や価値の薄い時間だと

捉えることになってしまうでしょう。

 

ですが、仕事でも、学校や勉強をしても、

家庭で家事をしていても、

一生懸命に打ち込んだ時間はもちろんですが、

「あ~だらだら過ごしてしまったなぁ」

と感じるそんな時間ですら、

人は自分の中にキラリと光る素敵な一面を

見出せると私は思っています。

 

それはなぜかと言うと、

「頑張っている」とか「一生懸命」とか

「怠けている」とか「だらだらしている」とかは、

主観的なものの捉え方であって、

本人はとっても苦しんでいたり、

とっても頑張っていたり、

とっても耐えて踏ん張っていたり、

そんなココロの働きがあったりするからです。

 

とっても苦しくて、すごく頑張った、とか、

緊張したけど頑張れたとか、

未熟だけど精一杯チャレンジできたとか、

出来なかったことが一歩踏み出せたとか、

それは結果云々ではないのです。

大切なのはプロセスではないでしょうか。

 

結果や点数、金額などはデジタル的で、

目に見えたり、客観的に測定が可能です。

 

ただプロセスはアナログ的であり、

相手や自分で確認したり測定が難しく、

精神的なこととも言えます。

 

もちろん、ビジネスやスポーツなどでは、

一番に重要視されるのは結果でしょう。

 

ただ、順位や稼いだ金額や、取った点数だけが

結果ではありません。

 

見えるものだけが結果ではないのです。

まだまだ見えないけれど、確かに感じる、

美しさや、達成感、喜び、楽しさ、

そんなものが結果に含まれても

良いのではないでしょうか。

 

今まで怖かったけど、今日はこれが出来たとか、

不安だったけど何とかこれをやったとか、

一歩踏み出せなかったけど充分向き合ったとか、

そんな大切な意味が、何気なく過ぎていく時間に

いっぱい含まれているような気がします。

 

是非、慌ただしく時間に追われる生活の中で、

キラリと光る自分の素敵な一面に、

どんどんと気付いていって欲しいと思っています。

 

私もそういう時間を過ごすことにわくわくしているし、

人というものは本来そうやって過ごすべき生き物だと

私は感じているのです。

 

そんな時間を過ごすことが当たり前になり、

朝起きることが楽しくなり、

夜寝る時に明日の自分を想像すると

わくわくしてしまう。

 

今日はどんな素敵な自分の一面に気付くだろう?

明日はどんな楽しい自分の一面を見出せるだろう?

そんな素敵な意味が盛り込まれた一日を、

是非過ごして欲しいと願っています。 

 

そして、

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

~零一~

今夜、一日を終える時、今まで以上に自分を認めることが出来るとしたら、それはどんなことだろう?

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

 

今日も一日を始める時に効く、

潜在意識に働きかけるような、

問いかけを発信します。

 

本日の朝の問いかけはこれです。

『今夜、一日を終える時、今まで以上に

自分を認めることが出来るとしたら、

それはどんなことだろう?』

 

今、世界は著しい情報化社会となり、

その膨大な情報をもとにした、

正しい・間違っているという判断が、

世の中に溢れているように思います。

 

ビジネスのスピードが上がってきたり、

SNSの普及で、個人同士・組織同士の

監視や批判が強くなっているのではないでしょうか。

 

そんな中で生活することは、知らず知らずのうちに、

相手を批判し、自分を批判する、

そんなことが当たり前になっているような気がしてなりません。

 

人や社会を批評するのと同じように、

自分をいつも厳しい目で批判していては、

せっかく伸びようとしている能力も

その芽をつぶされてしまいます。

 

そんな時は、世の中の常識や社会通念、

道徳観や倫理観、絶対正しい正義や、

数々の判断基準・価値観を一旦脇に置いて、

今日、自分がどれだけ頑張ったか、

何かに必死で取り組めたか、

それを何の基準も判定もない、

温かい目で見ることができる、

そんなことが大切ではないかと思います。

 

ここで敢えて

「頑張ったか」「必死で取り組めたか」

と書きましたが、こう書くと

「いやいや自分は全然頑張れてない」

と思う方もいるのではないでしょうか。

 

人や社会や未来への批判の目が厳しくなれば、

それらを評価できるための基準もまた、

どんどんと勝手に引き上げられてしまいます。

 

これくらいではまだまだだ、

これくらいではまだ頑張っているとは言えない、

これくらいではまだ褒められたものではない、

これくらいではまだ自分も過去も認められない、

これくらいではまだ必死に生きているとは言えない、

そうやって自分を認める基準を

高く高く釣り上げていっているのかもしれません。

 

ですが私ははっきり断言します。

 

そうやって苦しんでいる人は、

間違いなく頑張っている人です。

間違いなく戦っている人です。

間違いなく一生懸命に生きている人です。

そして間違いなくその時は輝いている瞬間だと

私は言ってあげたいと考えています。

 

学校の中で、会社の中で、家庭の中で、

人はこれでもかと期待やプレッシャーを感じ、

ココロをすり減らしながら、

頑張っているのではないでしょうか。

 

そんな時に苦しい一番の理由は、

すぐに、誰にでもわかるような輝かしい結果が

出せないからだと一般には考えがちです。

 

ですが、他者への分りやすい結果が大切になるのは、

人同士・会社内外での成績、評価、キャリアや、

あるルールの元に物事を進める時であって、

実は自分自身が自分自身を大切だと思うことと、

自分が結果を出すということとは

関係が無いと、私は感じています。

 

現に生まれたばかりの赤ちゃんは、

まだ何も達成していませんし、

まだ何も結果を出していません。

お金も稼いでいませんし、

家も建てていませんし、

車も購入していません。

 

ですが幼児は全くの自己否定感なしに、

笑い、泣き、遊び、眠り、そして生きています。

大人が子供を見て笑い、癒され、希望を感じるのは

こういうことが理由ではないでしょうか。

 

自分はいつでも自分を認めることができるし

人も認めることができると。

認めて良いのだ、と、そう感じていますし、

それが人間が人間たる由縁ではないかと思うのです。

 

例えとして、ここにある二人が居るとします、

その二人は同じ学歴、同じ職歴、同じ年収、

同じ過去があったとします。

 

会社での成績や、自分の人生について、

ある人は自分を認めることができて、

ある人は自分を認めることができないとしたら

その二人の差は一体どこにあるのでしょうか。

 

これは「人によって育った環境が違うから

感じ方が違うのは当然だ」という意見で、

片付けられる話ではありません。

 

育った環境が苦しかったとか、恵まれていたとかで、

自分を認めることに差があるのが当然ですが、

それを超えることが出来るというお話しです。

 

育った環境の如何に関わらず、

自分を認める能力やスキルは、

後天的に育てることが出来ると、

私は考えています。

 

この世の中に自分として生を受けて、

それを誰かは自己否定をしながら生き、

誰かは自己承認を満たしながら生きている。

 

その判定をその判断を、

一体他の誰が下せるでしょうか?

 

自分の人生に、そして自分の存在価値に、

まずOKサインを出すのは、

どんな時でも他ならぬ自分自身であると、

私はそう考えています。

 

人はもっと自分を今まで以上に認めて良いはずです。

人はもっと自分を今まで以上に愛して良いはずです。

人はもっと自分を今まで以上に許して良いはずです。

 

それが少しずつ少しずつ、

親に、家族に、周りに、広がっていく、

そんなことが人生ではないかと、

思えてなりません。

 

あなたは今日何をしますか?

何をしませんか?

一生懸命しますか?しませんか?

一生懸命できないのでしょうか?

それは素晴らしいとは言えないのでしょうか?

何かをしたら素晴らしいのでしょうか?

何かをしなかったら素晴らしくないのでしょうか?

それはあなたのことですか?

誰かの決めた評価基準の中のあなたですか?

 

全部を解き放って、是非「あなただけの眼」

あなたを認めてあげて欲しいと、

私は願ってやみません。 

 

今夜、一日を終える時、

あなたの周りに、あなたの今日一日に、

素晴らしい沢山の自己承認が、

誇らしい沢山のあなたが溢れますように。

 

そして、

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

~零一~

明日、自分の中の大切な何かが達成されるとしたら、どれほど嬉しいだろう

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

 

今日から夜の記事として、

少しでも明日をより良く迎えられるような、

少しでも明日への希望が増していくような、

そんな潜在意識に働きかける問いかけを

発信していこうと思います。

 

カテゴリーは「明日と自分を輝かせる夜の問いかけ」

としました。

 

「明日の自分」はもちろん大事です。

そして「自分の周りの人や環境」も大切です。

自分も大事、そして周りも大事、であれば、

それらを含み、そしてそれらが関係している、

この世界全体全ての事が大切だということになります。

 

自分だけが輝くのではなく、

自分以外の世界だけが楽しそうなのでもなく、

「自分」と「明日の世界」両方が、

等しく大切で、等しく輝いているはず。

そんな調和のメッセージを込めて

問いかけをしていきます。

 

本日の問いかけはこれです。

『明日、自分の中の大切な何かが達成されるとしたら、どれほど嬉しいだろう』

 

私が今まで心理研究や、心理的なお仕事をしてきて、

不安や恐怖、苦手意識に、

大きく2つのタイプがあると考えています。

 

それは夜、寝る時に不安や恐怖、イライラが多いタイプ。

これは不眠として現れたり、

お酒を飲まないと眠れない、寝付きが悪い、

というタイプです。

 

もう一つは朝、寝起きがしんどくて辛いタイプです。

このタイプは夜は比較的楽に寝つけるのですが、

朝起きる前や起きた時に、布団の中で

不安や恐怖、モヤモヤを感じて、

その重い気持ちを引きずりながら

一日の行動を始めるタイプです。

 

どちらのタイプも不安の気持ちが大きくなってくると、

日常生活も大変になってきますし、

悩みや不安というのは、

人に話しても理解されないことが多かったり、

人がすぐに解決してくれるような

ものではなかったりしますので、

なかなか他の人に話して楽になるというケースが

少ないように私は思います。

 

であれば人にはあまり話さないでおこう、

そう思うことも思考の自然な流れでしょうし、

結果として辛さや不安を一人で抱えて、

ますます辛くなっていく、という、

負のスパイラルになっていったりします。

 

ですので、このブログでは、朝と夜、それぞれに、

アプローチの違う問いかけをすることで、

夜寝る時にも、朝起きる時にも、

肩の力がフッと抜けて軽くなるような、

何となく楽しいことが、

自分を待ってくれているような、

そんな嬉しい気持ちをココロの奥底から、

持ってもらえるように発信していこうと考えています。

 

自分の中で意識的にか無意識的にかの違いはあれ、

何か大切だと思うことを人は沢山持っていると思います。 

 

もっとこうなれば良い、もっとこうだったら嬉しい、

もっとこうなれば楽しい、もっとこうだと素晴らしい、

もっとこうしたい、もっとああなりたい、

そんな沢山の、大切な、祈りにも似た想いを、

人は沢山胸に抱いて暮らしていると思うのです。

 

ですが、私たちはどこかで勝手にこれらを「諦めて」

暮らしているのではないでしょうか。

 

過去の人生経験や、親が言った事、先生が言った事、

自分の憧れの人が言った事、

テレビの中の影響力の強い人が言った事、

それらを判断材料にして、

自分の未来を推し量ってしまった場合、

ネガティブな判断材料がこの世に溢れていて、

希望のある明日が描けなくなってしまうのも、

とても自然なことだと感じています。

 

私たちは子供の頃、もっと自由に、もっと大胆に、

もっと斬新的に、もっと快活に、

もっと天真爛漫に、もっと笑顔で、もっと素直に、

もっと優しく、もっとしなやかに、もっと力強く、

もっとポジティブに、もっとわくわくしながら、

明日を思い描いていたはずです。

 

自分の人生にはネガティブなことの方が、

沢山起きているな、と感じることがあっても、

細かく、そしてニュートラルな眼で観察していけば、

実は自分の毎日にはポジティブなことも、

沢山起きているのだと気付くようになります。

 

そして、イメージをするのは自由です。

声に出して想いを外にだすのも自由です。

お金もかかりません、人も傷つけません。

副作用もありません。

 

自分の人生を、無意識に

ネガティブや批判的に捉えることは、

誰にでもよくあることかもしれません。

 

そんな時は自分の人生を、

ネガティブな方向からではなく、

フェアな眼で、ニュートラルな眼で、

温かく見守るような、

支えてくれているような

嬉しい眼差しで、明日を見てみれば、

きっと今まで見えなかったものが、

沢山見えてくると思います。

 

それは新しくとんでもない大発見をする、

ということよりは、自分の中に元々有った、

小さいけれど、でも大切な沢山のことに、

改めて出逢うということかもしれません。

 

それが明日、また明日と達成されていったり、

目の前に現れたりしてくれたら、

それはどれほど嬉しいでしょうか?

どれほど楽しいことでしょうか?

 

少しでもそんなことを感じられる

夜の時間が過ごせるならば、

それはこれからの人生の中で、

どれほど大切な意味を持つ夜になるでしょうか?

 

あなたの明日に大切な何かを

見出す時間がありますように。

そしてそんなことを少しでも感じられる、

この夜の時間を過ごせますように。 

 

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

~零一~

 

今日、今まで気付かなかった大切なものに気付くとしたら、それは何だろう?

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

今日から、朝には一日を始めるのにふさわしい、

潜在意識に働きかけるような問いかけを、

発信していこうと思います。

 

カテゴリーは「心を響かせる朝の問いかけ」としました。

 

本日の問いかけはこれです。

『今日、今まで気付かなかった大切なものに気付くとしたら、それは何だろう?』

 

じっくりと黙読してみたり、口に出して実際に発声してみたり、

中には具体的なイメージをしてみる方もいるかもしれません。

 

ただ、こういう問いかけに触れる時、

私がいつも大切だと思うことがあります。

それは、あまり力を入れず、流し読みくらいの軽い気持ちで、

素直に『今の』自分の気持ちと反応させてみる、

ということです。

 

朝の気持ちはどうでしょうか?寝起きがつらいのか?

スッキリと気持ちの良い朝が迎えられたのか?

会社に行くことが楽しいのか?それとも憂鬱なのか?

学校に行くことが楽しいのか?それとも憂鬱なのか?

 

その今の自分のココロと、この問いかけは

どんな反応をしているでしょうか?

これを読んで下さっているあなたのココロは

どんな反応を示したでしょうか。

そんなココロの微かな動きや反応に、

自分で気付いていくことが

とても大切だなと感じています。

 

もちろん、毎朝全く同じ気持ちの人なんていないでしょうから、

同じ言葉を見ても、毎朝捉え方は微妙に変わってくるでしょう。

 

それを素直に感じてみる。

そこから勝手にイメージが広がれば、広げてみても良いし、

イメージが広がらなくても何の問題もないでしょう。

流し読みして頂いても全然大丈夫です。

 

一つの朝の出逢いとして、あなたはこのブログの

今朝のこの問いかけに触れて下さった。

そういうことだと思うのです。

 

私たちは心の中で「無意識」のうちに大事なものとそうでないもの、

大切なものとそうでないものを区別して生きています。

 

当然大切なものが身近に来れば嬉しくなりますが、

そうでないものが身近に来れば、何も感じないか、

嫌悪感を感じたりすることもあるでしょう。 

 

そのココロのうねりや浮き沈みや刺激を、

私たちは日常の中で感じながら生きています。

 

最近人生がマンネリだとか、

毎日が同じことの繰り返しだとか、

わくわくするような刺激が欲しいとか、

自分の人生は何なんだろうと感じることも、

時にはあるかもしれませんし、

そんな時期が長く続いている方もいるかもしれません。

 

いやいやそんなマンネリ感とは無縁だと言う方も

もちろんいるでしょう。

 

もし今、この文章を読んで下さっているあなたが、

毎日にふとマンネリ感や退屈を感じているのだとしたら、

あなたの大切なものを少しだけ見失っているのかもしれません。

別の言い方をすれば、忘れているのかもしれません。

いえ、別の見方をすれば、もっと大切な何かに気付くための、

準備の段階が今なのかもしれません。

 

こないだまで大切だと思っていたものが有っても、

自分の成長と共に、意味や価値を

見出せなくなった場合もあるでしょう。

 

わくわくできないとき、

それはとっても苦しいかもしれません。

イキイキ・キラキラできないとき、

それはとってももどかしいかもしれません。

 

そんな時はもちろんのこと、

わくわく、キラキラしているときでも、

人は必ず今まで気付かなかった何か大切なものに

気付いていける生き物だと私は考えています。

 

それはなぜでしょうか?

 

その答えは、今、自分にとって大切なものを

「全部」知っているわけではないからです。

 

つまりこれから「無限」と言っても過言ではない、

大切なものに気付き続けていく、

その道のりのことを人生と言ってもいいかもしれません。

 

明日出逢うかもしれません、明後日かもしれません。

一年後かもしれませんし、今日かもしれませんし、

それが毎日続くのかもしれないのです。

 

今まで大切ではないと思っていたことの中に、

生涯消えることのない大切さを見出すかもしれません。

 

一度は大嫌いになったけれど、成長した自分ならば、

その中に最高の輝きを再認識できるかもしれません。

 

そんな出逢いが多ければ多いほど、

その人の人生における幸福度は高くなるのかもしれません。

 

あなたの今日という一日の中で、

今まで気付かなかった大切な何かが

あなたを待ってくれているとしたら、

そんなに嬉しいことはないのではないでしょうか。

 

それにもし逢えるとしたら、

それはどんなものでしょうか?

それはどんな出来事でしょうか?

それはどんな人でしょうか?

 

そこであなたはどんな嬉しさを感じるでしょうか?

どんな楽しさを感じるでしょうか?

 

それに逢いに行く価値はどれほどでしょうか?

 

今まで気付かなかった大切なものが、

あなたの周りに溢れますように。

 

そして、

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

 

~零一~

クリスマス と 顔の表情 と 街の表情 と

わくわく自家発電研究所 所長の零一です。

 

本日は12月26日。クリスマスも一段落ついて、

街も普段通りの表情を見せ始めています。

そしてそうこうしているうちに今度は正月化粧に早変わり。

 

クリスマス用のネオンも一斉に正月仕様に変わっていくのでしょうか。

 

そういえば今年のクリスマス、例年には無く、

あれ??っと思うことがありました。それは街の表情と人の表情のことです。

 

クリスマスの前、つまり3日前の12月23日を思い出すと、

やはり今日と同じように「普段の日」だったように感じます。

 

街中も行き交う人々の顔の表情も、その人たちが発しているオーラも。

 

そして普段の様に23日を終え、24日が始まった途端に、街に出てみて、

私はすぐに雰囲気がいつもと違うなと感じました。

何というか電車の中でもお店の中でも、通りを歩いていても、

なんだかいつもよりも暖かい、柔らかなオーラに街も人も包まれていました。

 

普段よりもたくさんの人がカップルで歩いていて、

普段よりもたくさんの人がよく笑い、

普段よりもたくさんの人がよく会話をしていると感じました。

楽しそうな声で、いつもより少し大きめの声で、高めのトーンで。

 

ちょうど今年は24日、25日が土日に重なったこともあり、

カップルが会える機会が多かったのだと思います。 

 

何だか多くの人たちが柔らかい表情で、笑顔で楽しそうで、街も楽し気、

こんな風に毎日が過ぎていけば良いのになと感じました。

 

しかし、23日を振り返ってみても、本日26日にしても、

やはり行き交う人の表情は普段の表情に戻っています。 

 

人々の思いや発するオーラがこんなにも違って感じられるのかと、

今年のクリスマスはそんなことをしみじみと思っていました。

 

多くの人の気持ちが同じ方向に動くとき、

また、そこに住んでいる人たちの心理状態がある一定の幅にある時、

その心理やオーラが力を持って、

感じ取れるほどの大きさになるのだと思います。

 

クリスマスほどの多くの人の気持ちを短時間に変えることは、

すぐに、そして一人の力ではなかなか困難かもしれませんし、

その影響力が少ない分、日常生活では自分の表情には無頓着かもしれません。

つまり移動しているときとか、電車の中とか、歩いているときとか、

会社でデスクワークをしているときとか、

自分の表情をあまり気にしていない人が多いと思います。

 

でも私たちは一人一人表情を持ち、どちらかと言えば

しかめっ面を見るより、笑顔を見る方が気持ちが良くなる人が多いはず。

 

言われてみればそうかもしれないが、このことに気付いていて、

この『自分の表情』をいつもモニタリングしようとか、

メンテナンスしようとか、チューニングしようとか、調整しようとしている人が

どれだけいるのかな???と思ったりします。

 

クリスマスの24日と25日は、カップルとシングルの人の表情の違いは、

一目瞭然でした。あまりにも笑顔の人が多いので、相対的に

シングルの人の表情が暗く、しかめっ面に見えてくるのです。

 

決してしかめっ面をしてはいないのでしょうが、

周りが笑顔なので、相対的にそう見えてきてしまうのです。

 

周りに笑顔で楽しそうな人たちがあふれていれば、 

当然相対的に楽しくない自分を感じてくることになるので、

どんどんと表情が暗くなってくる。

そんなことがシングルの人とカップルの人の差に表れていたように思います。

 

表情には本当にその時の心理状態がよく表れます。

 

人は体の中で見えない部分が大きく2か所あります。

それは顔(頭部)と背中です。

 

自分の顔は鏡を使わないと見ることが出来ません。

女性は男性よりも鏡を見る機会が多いでしょうが、

それでも仕事が忙しかったりすると、その回数も減ってくるでしょう。

 

電車で一人で移動している最中なら影響は少ないでしょうが、

それが取引先だとどうでしょう?そのままお客様と会ったり、

そのまま会社に戻り職場の人と交流をすることになります。

 

精神状態はすぐに変えることが実は困難な場合もあります。

しかし、顔の表情は実は精神状態を変えるよりも、

簡単に変えられることが多いと感じます。

 

目じりを少し下げるだけで、相手に与える印象は、

確実に柔らかいものになるでしょうし、

口角を少し上げるだけで、元気さや快活さ、

相手への信頼や理解を示していくことができるようになるでしょう。

 

あなたのクリスマス中の顔の表情はどうでしたか?

よく笑っていたでしょうか?

自分は普段通りだったと思うでしょうか?

いやちょっと周りの人が羨ましくて暗い表情をしていたでしょうか?

 

精神状態の問題を抱えていたり、精神状態を変えたいと思った時には、

実は体、つまり肉体面を使ってアプローチすることも有効だったりします。

ココロのことにココロのことでアプローチするのは、

同じベクトルなのでぶつかってしまってうまくいかないと言いますか。

 

そんな時はちょっとの背伸び、ちょっとのジョギング、

少しの表情の変化、少し大きめの声で元気に挨拶をしてみる、

などの肉体面を使ったアプローチが、

精神名に良い影響を与えてくれたりします。

 

今まで、普段自分の表情に無頓着でいて、

人生を少しでも好転させたいと思っている方なら、

ほんの少しの表情の変化を作ることはとっても有効かもしれません。

 

まずは自分の表情のモニタリングから。

デスクワークの時の自分の表情は?

電車の移動中は? 職場で挨拶するときは? 同性と話すときは?

異性と話すときは? 家族と話すときは? 一人で居るときは?

食事をするときは? お風呂に入っているときは? 布団に入ったときは?

どんな気持ちでどんな表情でいるでしょうか?

それを知っていくだけでも、

ちょっとした安心感や気付きがあると思います。

 

精神状態から体の状態を知ることも大切ですし、

体の状態から精神状態を知ったり、メンテナンスしたりもできます。

体と心はもちろん両輪です。

 

これを見て下さっている方の精神状態と体が良い状態に少しでも傾き、

そして関わる人に良い影響を与えていくことに繋がる。

私としてはこんなに嬉しいことはありません。

 

クリスマスの夜にうっとりと見つめたキャンドルやネオンの明かりを、

クリスマス以外の時も、そう、一年中を通して、心に灯すことは、

果たしてできるのでしょうか?できないのでしょうか?

 

 

全ての人のココロにわくわく自家発電の灯がともりますように。

 

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~零一~